昔のゲームに向き合う自分のお話

(過去記事に重複する内容有り。)

 

私が昔のゲームに拘ってしまう理由は何か。

子供の頃、欲しいゲームソフトがいっぱいあった。

でも買えなかった。買ってもらえなかった。

そりゃ少しは買ってもらえたよ。でも欲しいソフトを全部は買ってもらえない。

大人になって、お金を持つようになった。

昔欲しかったゲームソフトを、自由に買うことが出来るようになった。

でもいざ手に入れても、当時の情熱をもってゲームに取り組むことが出来ない。

その理由を「大人になったから」の一言で片づけるのは腑に落ちない。

さらに細かく分析してみたくなった。

 

子供の頃は視野が狭い。世の中は分からないことだらけだ。

でも色々経験して大人になっていくにつれ、知見が増え、見え方が変わってくる。

魅力的に見えていたものが実は大したことがなかったり

どうでもいいことだと思っていたものが、すごく大事なことだったり。

大人になった今でも往々にして感じることがある。

そのひとつがゲームなのであろう。

 

昔と今とでは、情報量が全然違う。

昔はとにかく「分からなかった。」それは子供だからという理由だけではない。

昔は情報量が少なかったのだ。

現代のようにその場でスマホで調べて情報を得ることは出来なかった。

分からないなら、実際に体験して知るしかない。

調べれば最初から分かってしまう現代ではそのワクワクが無いのであろか。

 

技術の進歩が目覚ましく、当然取り巻く環境が変わっている。

例えば容量ベースで挙げてみれば

ファミコンが1MB

スーパーファミコンが6M

プレイステーション(CD-ROM)が約650MB

プレイステーション2(DVD-ROM)が約8.5GB

プレイステーション3(BD-ROM)が約25GB(1層)

一体何倍になったんだよ。と。計算するのも面倒である。

スマホで撮影した写真のデータが1~2MB程度であるから、いかに昔のゲームが小さいことか。最大容量という制約があるが故、ソフト制作側も工夫を凝らし容量を突き詰めて作品を作り上げなければならない。現代は現代で莫大な容量に見合ったソフトを開発しなければいけないのだから、どちらが良い悪いと簡単には言えない。

ただこの技術の進歩は多種多様なモノを生み出し、より複雑になっていったことは確かだ。今のゲームはとにかく複雑だ。(偏見含む)

 

自分を取り巻く環境が変わった。1や3と少し重複する内容でもあるが。

進学就職結婚出産病気など、人生の各ステージにおいて環境が変わる。

時間の使い方も変わる。頭の使い方も変わる。体の使い方も変わる。

当然ゲームへの関わり方も変わるだろう。

 

 

 

もっとあると思うが、まあこんなものか?

 

じゃあ、自分はどうゲームと向き合うべきなのかという話だ。

まずは昔と全く同じ感覚でゲームを楽しむことは不可能だと認識すべきだ。

情熱も時間もお金も、普遍的なものではない。変わるものだ。

「やりたいと思ったその時がやる時」であるが、必ずしもそのタイミングでゲームが出来るとは限らない。できるタイミングは限られているのだから、できる時間に全力でやるべきだ。

できる時間に全力でやるためには準備は欠かせない。他にもやることが多くて忙しい。

メリハリと切り替えがすごく大事だ。

 

結局、仕事とか生き方と考え方は同じだ。

計画的に、メリハリをつけて、やりたいと思った時に、実際にできる環境を整え、思いっきりゲームをする。

これを意識しないと積みゲー生活から抜けられないと思いました。